【保育士】せっかく正職員で働けると思ったらとんでもない園だった。求人が絶えない保育園にはそれなりの理由があるものだ。

【保育士】せっかく正職員で働けると思ったらとんでもない園だった。求人が絶えない保育園にはそれなりの理由があるものだ。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
29歳

【当時の職業】
保育士

【当時の住まい】
夫と賃貸アパートにて二人暮らし。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し無職





【就職のきっかけと経緯】
24歳で結婚するまでは正職員として働いていたが、結婚後は時間に融通が利くと思い、自治体登録して臨時職員として働いていたが使い捨てされるような勤務実態だったため再び正職員になりたいと思い、自治体の保育園の契約期間満了を経てハローワークで仕事を探し私立保育園に採用してもらった。

【環境と仕事内容】
幼児の保育。
4、5歳児金剛縦割り保育35名を一人で担任。
子供たちは近隣のに住む子らで大阪の下町という立地からか在日韓国・朝鮮人の子や中国からの留学生夫婦の子ども、ブラジル人やフィリピン人の子らも居た。
保護者も高所得者から低所得者まで幅広く居た。
休日は4週6休。
給与は毎月一律で17万円。
月初めに10万円出て、月中程で残りの7万円が出て、給与明細は4月に出たきりで毎月一緒だからという理由で毎月出なかった。
出してくれるよう申し出たが毎月同じだからいいだろうと、こちらがおかしいかのように言われてしまった。

【大変だった時期】
働き始めてすぐ。
大阪の大都会だけど下町にある保育園だったが就職してからずっと大変だった。




【大変だったこと】
七十人定員の小規模円だったが隣がすぐ民家で、保育をしていると保育室の窓を開けられ「うるさい!」と怒鳴られることがしばしばあった。
朝の園庭は猫やイタチのフンだらけで朝の掃除が大変だった。
園舎にイタチが住み着いていたりノミがいて、アレルギー体質のわたしはノミにやられて足がボコボコに腫れた事があった。
なぜか給食を作る調理担当の職員が居らず、保育士が献立を立てて一週間単位で給食作りを担当していた。
片付けはもちろん買い出しやカロリー計算も行っていた。
保育園なので時差出勤だったが、時間通りには上がれず、早出をした日も閉園まで残って勤務をしていた。
園側はいつも人が足りない状態だった。
求人もいつも出されてるようだったが人が続かない。
私もそうだった。

【大変だった期間】
保育園に赴任してから退職するま約十ヶ月間ずっと続いた。




【当時の心境】
お寺のやっている園で法人が宗教法人。
近くに幼稚園も経営されていて保育園よりも規模が大きく、行事は幼稚園と一緒に行われた。
園長が寺の住職だったが保育園に在籍する多国籍の園児たちに「みんなは日本人なんだから日本の祝日を祝え」と発言したり、子どもらが騒いでいると癇癪を起こしたように怒鳴るようなひとだった。
先輩たちに色々話をするのだが、あの人はああいう人だからという事で相手にしてもらえ無かった。
保育園と幼稚園の職員間の仲が最悪に悪かった。
幼稚園の職員は保育園を下に見るような発言が多かった。
半年勤務した頃に十二指腸潰瘍になり「絶対に辞めてやる」と心に誓った。
勤務をしていて楽しかったことはほぼ無かった。

【職場が大変だった原因】
園長の方針と園長の「姉」の存在。
保育園では副園長というポストだったが、この人が気に入らない事があると子どもや保護者の前で保育士を罵倒するようなことをしょっ中言っていた。
とうじわたしはキャリア9年目で保育士としてはベテランだったがそのキャリアを安売りしているような状態だったと思う。




【仕事で良かったこと】
子どもはどんなところへ行っても可愛いし面白い。
こんな最悪の環境の中でも子どもたちは「先生、先生」と慕ってくれてそれは本当に嬉しかった。
季節ごとに行われる行事も準備は大変だったがやり終えた時には達成感を感じる事ができた。




【特にひどかった最悪の出来事】
赴任当時、既婚29歳だったが経済的なことや、仕事以外に打ち込んでいたライフワークが充実していたので自分の子どもを持つことをずっとためらっている状態だった。
しかしこちらの事情も何も聞かず、副園長に「あなた、結婚してるんですって?じゃあ子どもが出来たらたちまち辞めてもらわないといけないじゃないの。
理事長(園長の息子、面接を担当)はどうしてあなたのような人を採用したのかしらねぇ。」
と言われた。
せっかく正職員になれたのに赴任早々いきなりこのようなことを言われてショックだった。
30年前のことなので今よりもキャリアか子育てか、選択するのが難しい時代ではあったがそのように言われると子どもを持って自分のキャリアを続けるという夢も希望も持てないんだという絶望感でいっぱいになった。




【相談した人・助けてくれた人】
同僚に話しても「そんなの仕方がないから」と取り合ってもらえず、職場ではどうすることもできなかった。
夫に話をするくらいで「しんどかったらいつでも辞めて、また次を探したらいいから、体だけは大事にしてほしい。
と言われたのは嬉しかった。

【改善のための行動】
体調の変化を感じて病院で診てもらったら、胃カメラを薦められて検査をしたら十二指腸にポリープがいっぱいできていて、組織をとって生検に回された。
これがもし悪性だったらと思うと気が気でなく退職を決意。
保育士の仕事に見切りをつけて近所の食品配送会社の求人(正職員)があったので面接を受け採用されたのを機に保育園を退職した。
辞めさせてもらえなかったので荷物をまとめて出ていった。




【現在の状況と心境の変化】
あれから30年、子どもも産まれ26歳になった。
わたしは自分のペースで働けるよう再び自治体の保育課に登録をして、アルバイトやパートで保育園勤務を52歳まで続けた。
更年期障害もあってか体調が悪くなり退職して、今は家で療養を中心とした生活を過ごしている。
なんでもどんなことも無理しすぎると心と体がやられるものだと感じている。

【学んだこと】
世の中には本当に色々な人がいて、色々な保育園があるものだと思った。
いい保育園もいっぱいあると思うがブラックなところの方が多いんじゃないか?と今でも思う。



【当時の自分へのアドバイス】
自分には無理だとわかったら淡々と次のキャリアを考えて行動をすること。
そんな変な職場に長居は無用と言ったところだと思う。
くよくよしていても時間がどんどんすぎるだけで自分が動かないと何も解決しない。
あの環境の中では誰も助けてくれなかった。
自分で自分をどうするか、必要なことはどんどん調べて行動する事が大事だと思う。